伝聖徳太子作。
伝恵心僧都作。
南無佛太子像。西方院開基三尼公尊像。
西方院出土。奈良時代。複弁蓮華文軒丸瓦は四天王寺出土の奈良時代の瓦と同じ文様を持っており、今後の研究に期待されます。
西方院出土。平安時代。久安五年銘軒平瓦は、1149年、この地に法楽寺が建立されたことをうかがわせます。この頃には御廟前の伽藍(叡福寺)が成立しており、法楽寺もその塔頭の一つとして建立されたと考えられます。
中将姫が自らの髪で刺繍したと伝えられる弥陀三尊仏。
物部守屋討伐に向かう聖徳太子を描いたものとされています。叡福寺様には黒駒に騎乗する太子が描かれたものが所蔵されています。
聖徳太子が父・用明天皇の病気平癒を祈念して、髪をみずらに結い袈裟をつけ香炉を持って、孝養をつくす姿をあらわしたもの。
阿弥陀浄土変相図ともいい、『浄土三部経』の「観無量寿経」にもとづき極楽浄土の世界を描いています。
江戸時代中期に正法律十善戒運動を興し、佛教の原点に立ち還って自らを厳しく律し、僧風の刷新と社会教化に生涯を捧げられた尊者は、晩年当山にしばしば止錫され、その高風を慕う多くの人々に授戒説法されたと伝えられています。